金乃竹について headimage

箱根の大自然に溶け込む
リュクスな空間と時間で癒しを提供する。

金乃竹について

金乃竹

「圧倒的な非日常の提供」- 旅の目的地となる旅館へ

金乃竹グループのロゴは「竹」がモチーフとなっております。「竹」は、古くから私たち日本人と共に歩んできた存在と言えます。古くは縄文時代の遺跡から竹を素材とした製品の出土もあり、農業や漁業をはじめ、日本文化を代表する茶道や華道の道具、笛や尺八などの楽器、竹刀や弓などの武道具などに用いられていることから、日本人の生活や文化に根差した素材といえます。

さらに、竹の種類は国内で約600種、世界では1,200種ある「多様性」、1日に120cm前後も伸びたという記録がある「成長速度」、竹取物語のお話しをはじめ様々な神秘的な魅惑と力を感じる「竹に宿る力」があります。

金乃竹グループのすべてのスタッフは、常に「圧倒的な非日常の提供をすることでわくわくと感動」を世の中へ提供してゆくために、国籍・人種・文化・宗教などを超え「多様性」の相互理解により互いが活躍できる環境を整え、日々興味を持ち反応して学ぶことを楽しみ育つ「成長速度」を高め、お客様へ「竹に宿る力」をカタチを変えて非日常の空間と時間をプロデュースして、どんなに小さくともお客様の人生のなにかしらにポジティブに影響を与えられたら良いと考えております。結果、それを求める旅人たちの目的地となる旅館を目指します。

代表挨拶

取締役社長 窪澤 圭

10年後にも、わくわくと感動を。 ~そのとき、その場所、その想いから~

取締役社長 窪澤 圭

事業を始めたきっかけ
1991年バブル崩壊後より続く不景気の波は、両親が44年間経営する旅館 ”富士荘”にも影響を及ぼし業績低迷が続きました。ある日突然、父から「戻ってこい」と言われ、東京での起業を夢見て3年半勤めた旅行会社 エイチ・アイ・エスを退社し富士荘へ入社しました。
入社した当時の富士荘はいわゆる「昔ながらの古い民宿」でした。客室は8部屋、玄関のスリッパはトイレで使用されている様なビニールスリッパ、部屋の稼働率は日々23%ほどしかなく、当時は年間わずか2,500万円ほどの売上規模で利益も残らず将来の不安しかありませんでした。
成功するまで挑戦し続ける
うまくいかない時点で思考・行動を止めたらその時点で失敗。業績が伸び悩んでいるなかで、旅館のイノベーションが必要と様々なチャレンジを試みました。
例えば、当時は温泉と言えばまだ貸切風呂がなく、自分で竹取物語のコンセプトを具現化した貸切露天風呂や客室に露天風呂を新設したりしました。
また、私の母は調味料を使用せず素材からダシをとる料理だけをいつも私に与えて、その経験から自ら包丁を握り8年間ほど厨房に立ち料理を創り、お客様が残した残飯から傾向を分析してお客様が喜んで食す料理メニューの考案に日々明け暮れました。
その結果、貸切露天風呂と料理の評判から「昔の古い民宿」を6年で日々満室になる人気旅館へ変貌を遂げる事ができました。
危機こそチャンス、コロナ禍で+30%の成長

(売上の推移) 2019年8月期:11,3億円 → 2022年8月期:14,7億円
(取扱数の推移) 2019年8月期:26,000人 → 2022年8月期:34,000人

ターゲットをビジネスエリート層に絞り、日夜ビジネスで注目されている人々が人目を気にせず大切な人と一緒に過ごせる空間を提供いたしております。2005年に創業した金乃竹 仙石原は客室露天風呂付ののわずか11部屋のスモールラグジュアリとし、コロナ禍以前より部屋食の提供を行い、ご到着からご出発まで他のお客様と接触しないオペレーションを実現しております。
他の旅館も部屋数は10~23部屋とし、リュクスなスモール旅館で高単価、高稼働率、固定費の貢献度を高める工夫を凝らし、旅館事業では営業利益率で20%以上を実現しております。

VUCA時代に対応できる組織と人財を
2020年代はじめは激動の時代でありました。ウィルス感染拡大、燃料や原材料費の高騰、円安と日々メディアでは様々な報道がされております。
この様な先行きが不透明で何が正解かわからない時代、皆で事実から課題を可視化して正解と思われる仮説をたて速く実行する、100仕上げて動くのではなく、40、50のできで良いから速く推進して失敗から知恵を得ながら成功するまでチャレンジする、そんな組織をつくり人財を育ててゆきたく思います。
夢はでっかく根は深く
リュクスな「時間と空間」を人々に提供し大切な人との幸福を感じてもらう、をミッションに『10年先にも、わくわくと感動を』提供するべく、まずはこの2年以内にグランピングなど3施設の開業予定を目指しております。
そして、変化を恐れず果敢にチャレンジできるファーストペンギンを社内で多く輩出してゆき、売上高 年間5億円規模の事業を任せられる経営者を15名育て、10年以内に100億円企業へ成長してゆきたく思います。
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